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ドイツ語圏留学のオススメ

ドイツ語圏留学のオススメ  3月26日は、私がドイツ留学に出発した記念日です。当時、学部の3年生でドイツ文学科の落ちこぼれ学生であった自分が変わる転機になった日でもあります。このブログでは、皆さんに私のドイツ留学体験の一部をお伝えしようと思います。

 私が留学に選んだ街はEichstätt アイヒシュテットです。「街」と書きましたが、ミュンヘンから北に向かって列車で約1時間半、インゴルシュタットからも30分掛かるDorf「村」という名が相応しいようなバイエルン州の田舎にある大学街です。Katholische Universität Eichstättカトリック大学アイヒシュテット (現在はインゴルシュタット大学と統合しKatholische Universität Eichstätt-Ingolstadtカトリック大学アイヒシュテット=インゴルシュタットという名称:https://www.ku.de) は国立大学がその殆どであるドイツでは珍しいカトリック大学であり、古い伝統のある神学で有名な大学です(教皇も輩出しております)。しかしながら、おそらく当時ドイツ人でも知らない人がほとんどだったのではないしょうか。なぜこの場所を選んだかって、首を傾げますよね。その理由は1つです。「落ちこぼれの自分を甘やかさないように日本人のいない街が希望です」と豪語し、自ら志願してしまったからです。フランクフルト空港から約4時間も掛けてやっとたどり着いた駅に降りて唖然としました。本当に何も無い。。。学生寮も刑務所の隣にあり、その違いと言えば鉄格子があるか無いかだけのような気がしました。すぐに日本に帰りたくなり、寮の部屋で寝込んでしまいます。

が、それも半日。憂鬱な気分を変えようと表に出る決意をしたのです。人々が話すドイツ語は日本で習ったものとは全くの別物で、何を言っているのかさっぱりわかりません(負け惜しみを言えば、バイエルン州方言訛りが強い地域ということもあったかもしれません)。日常生活の買い物にも苦労しました。そんな日々が数週間続いた後、夏学期が始まり、ようやく街も活気付きます。なんせ住民13000人中、実に4000人以上が学生という街ですから、大学が休みになり学生が帰省してしまうとゴーストタウンになってしまうのです。田舎ですから、学生達も退屈しないようにいろいろ企画します。学期が始まれば毎週どこかでパーティーが開催され、人と出会う機会は自然と多くなります。都会の大学とは違って、ドイツ人学生も地元出身者はほとんどおらず、皆必死で友達を探していました。そんな中、何気なく参加したパーティーで出会ったのがMichaelでした。 彼はフランクフルト出身ですから都会育ちです。ジャーナリスト志望で、私と同じく夏学期からアイヒシュテット大学に入学したドイツ人学生でした。父親がドイツ人で母親がアルゼンチン人ということもあり、ドイツ人にしては珍しくかなり陽気な性格で私とは馬が合いました。すると、大学の授業後毎日のように彼が車で寮にやって来て、私を連れ出してくれたのです。もちろん、ドイツ人学生たちの集いですので、会話のスピードにもついて行けず、いつもぽつんと座っているだけ。けれどMichaelは「Aki、ドイツ語がわからなくてもいいから、会話を聞いておけ」と励まし続けてくれ、私をドイツ語漬けにし、徹底的に鍛えてくれました。彼が実家に帰省する際もKommst Du mit, Aki?「Akiも一緒に来るか?」と誘ってくれ、社交辞令という言葉もよく理解できなかった当時の私は、Ja!「はい!」と二つ返事でついて行ったのです。この出会いのお陰で、日に日に私のドイツ語は上達し、遂にはドイツの大学入学資格試験にも合格することができました。彼には感謝してもしきれないほど、今でも恩義を感じています。  もちろんこのことばかりではなく、様々に自分を変えてくれたのも間違いなくこの留学体験でした。それら全てお伝えするのはまたの機会にし、今回はここで筆を置くことにします。

最後に、一言。ドイツ語圏の留学には学費が無料(但し、大学の認可している保険に入る必要があります)という経済的なメリットばかりでなく、多くの可能性が開けるチャンスがあります。是非、ドイツ文学科でドイツ語を学んで、将来的には留学を目指してみませんか!Frisch gewagt ist halb gewonnen!「思い切って始めれば半分はできたも同然!」 追記:ちなみに、その後アイヒシュテット大学はドイツ学生満足度No.1の大学になりました。その理由もきっと行けばわかります。味わい深く、癖になる街なのです(笑)。 (文責:浜野明大)



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