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  • 日本大学ドイツ文学科

あの日から10年…

 今から10年前の2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生しました。私はまさに当日の13時25分に成田からミュンヘンへと出発したので、その事実を知ったのは、約12時間後ミュンヘン大学の恩師であるヘルガルト教授宅でした。再会直後「Akiは来ないかと思った」という教授からの第一声に戸惑いを感じたのを今でもはっきりと覚えています。ルフトハンザ航空の機内では震災に関するアナウンスは一切ありませんでした。

 翌日、チュービンゲン大学のリダー教授との約束があったため、ミュンヘンから列車で約3時間半掛けてドイツ南西に位置する大学街チュービンゲンへと向かいます。やはりそこでも私の渡独を危惧していたとリダー教授から伝えられ、また同時に原発事故があったことも知らされました。ミュンヘンのヘルガルト教授宅にはテレビが無いので、震災の情報はネットで少し見た程度で、事の重大性を正確に把握できておらず、正直なところ皆が何を言っているのかきちんと理解できていませんでした。しかし、用意してもらったホテルにチェックインし、テレビをつけると、どのチャンネルも日本の特番を放送しており、その映像に戦慄しました。津波と原発の爆発が何度も繰り返し流され、日本に「Super-GAU (原子力発電所の大規模事故のうち、炉心溶融や放射性物質の飛散などの特に深刻な事故)」が起こった、と多くの専門家たちが口を揃えてコメントしているのです。そのような報道は日を追う毎に過熱し、日本の「Fukushima」という地名は瞬く間に欧州全土に知れ渡ることとなりました。

 それから11日後、私は帰国の途につくこととなりましたが、当時既にルフトハンザ航空は成田へのフライトを中止しており、関西空港へ向かうことを余儀なくされました。着陸した機体から降りた後、新幹線で東京に向かっていく時の感覚は何とも言いようのないものでした。

 当時、誰もが自然の巨大な力の前に人間の無力さを痛感したのではないでしょうか。10年前小学生であった皆さんも様々な思いや経験をなさったのではないかと思います。

 あれから10年…。日本全体は前に進もうとしていますが、現在も41241人が避難生活を続けており、本当の意味での「復興」は未だ遥か彼方にあるように思われます。さらに追い討ちをかけるように、現在は出口の見えないコロナ禍の渦に巻き込まれています。

 しかし、こういった経験からも得た教えはあるのではないでしょうか。それは「普通の日々の大切さ」です。未曾有の災害を通してごく当たり前で普通であった日常がどんなに貴重で尊いものであったのか気付けたはずです。それに気付けたことは皆さんの人生にとって大きな意味を持ち、「生きる」ことの本当の意義を噛み締めながら、今まで以上に日々を大切にできるでしょう。

 今日からさらに10年後の世界がどうなっているか想像もつきません。また想定外の大きな困難に見舞われているかもしれませんし、平穏な日々を取り戻せているかもしれません。しかし、日々を大切にしながら積み重ねる10年後の皆さんの目にはきっと今とは違った何かが見えているはずです。


浜野 明大

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