私がはじめて西ドイツに行ったのは1983年の夏。まだ東西ドイツが統一されていないころです。そのときに購入したDB(ドイツ鉄道)フリーパスの地図をみると、利用可能な区間に東ドイツの記載はなく、ベルリンは陸の孤島のよう。西ベルリンだけが西ドイツとコネクトしていることがわかります。
クラスメイトとふたり、格安チケットを手に羽田から台北、ドバイを経由して24時間ほどかけてようやくアムステルダムに到着しました。まずはホテル探し。駅からほど近くの小さなホテルに飛び込み、部屋をとりました。
オランダ語はわかりませんでしたが、片言のドイツ語や英語を駆使して数日アムステルダムを見て回りました。ゴッホ美術館に北斎の浮世絵が多く所蔵されていることも、このとき初めて知りました。
アムステルダムから最初の目的地ケルンへは鉄道を使いました。鉄道の旅の始まりです。ドイツ入国の際、列車の中でひとりひとりパスポートチェックが行われ、物々しい雰囲気に包まれたとき、〈国境〉という感覚を初めて意識したように思います。
圧巻のケルナー・ドーム(大聖堂)やローマ・ゲルマン博物館の訪問を経て、次に私たちは恩師の待つフライブルク(Freiburg im Breisgau)へ移動しました。
半年ぶりに再会した恩師は、私たちをカブトムシ(VWのビートル)に乗せて、黒い森やティティゼー、ホーエンテュービンゲン城へ連れて行ってくださいました。お弁当作りは私たちの担当。見晴らしのよい古城の庭で、手作りのおにぎりを3人でほおばりました。
数日後、恩師に見送られて友人と私はフライブルクを後にし、リューネブルク(Lüneburg)へ向かいました。ゲーテ・インスティテュートの4週間の夏期講習に参加するためです。
ニーダーザクセン州にあるリューネブルクは、塩の採掘で発展した小さな都市です。その時代の名残として、塩の上げ下ろしに使われていた木造のクレーンがあります(写真のクレーンは1797年のもの)。
週末には自然保護地域のリューネブルガー・ハイデ(Lüneburger Heide)、ブレーメン(Bremen)、ヴォルプスヴェーデ(Worpswede)にも出かけました。
世界文化遺産の市庁舎(Rathaus)やローラント像、ブレーメンの音楽隊のみならず、ブレーメンは表現主義的な画風の女性画家パウラ・モーダーゾーン・ベッカーゆかりの地でもあります。若くして亡くなったパウラの作品には、芯の通った人間の逞しさが造形的に描かれています。ブレーメン近郊の町ヴォルプスヴェーデには、19世紀の芸術家たちがともに活動する〈芸術家コロニー〉が形成されており、パウラもその仲間のひとりでした。
リューネブルクから北へ、鉄道で3時間ほど行くと、リアリズム作家・シュトルム(Theodor Storm)の生まれたフーズム(Husum)があります。いつものように宿をどうしようかと思っていると、遠目にHotelの文字が…そこに無事泊まることができました。川沿いの小さなホテルでした。
居心地のよい街並み、真夏に吹きぬける海風…ところが翌日、天候が急変し、フーズムに雪が舞い降りました。そのときの凍てつくような感覚はいまでも忘れられません。
シュトルムには、頑な父と父に愛されたいと思い続けた息子との和解しあえぬ悲運を描いた『北の海』という作品があります。このような作品を生みだした北方の風土や生活環境の一端に触れた瞬間でした。
*旧い駅舎ですね。今は改築されています。
(2020年10月30日・関口)
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